2014年4月28日月曜日

音楽演芸の勉強会でバナちゃん節

2014年4月、音楽演芸の勉強会が新宿で開催されており参加した。新宿区に住んでいたずいぶん前には神田川沿いに会場まで歩いて行ったこともあった。今は地下鉄ができたのでまあまあ便利だが昔は電車で行っても歩いても変わらない不便な場所であった。JR新宿駅から徒歩20分。

今回の場所は再開発が進み大きな住居用ビル群(賃貸・分譲)が立ち並んでおり、そのビルの集会所であった。
すぐ横の成子天神社境内には富士山信仰の富士塚があり頂上まで登ってみた。大正時代に富士山から石を運んできて富士山を模して造営された山で平成の今も整備されているのを見るとちょっと感激した。高さ12mと書いてあった。

「音楽演芸」勉強会とは歌舞音曲、大道芸、詩朗読などなんでもありの自由参加コンサートで、参加者が皆の前でやってみせる、つまり「オープンマイク」のような会である。洋楽から邦楽、詩吟、大道芸と見ていても面白く勉強になった。

ゆめじはウクレレ弾き語りでバナちゃん節をいれた「ばなちゃん物語」をやった。

楽四季一生さんはバイオリン演歌とバイオリンをギターのように抱えてピックを使って「人生の並木路」を弾き語った。


楽四季一生さんはレコーディングを終了したそうで、5月頃にはバイオリン演歌CD(12曲)を発売するということであった。楽しみである。

大道芸ではそのほか光田さんが江戸の売り声の実演を行った。江戸時代の「え」の発音は「い」と「え」の中間であったそうだ。だから「苗(なえ」は「ない」と聞こえる。

笛関係は尺八2名、しの笛1名、フルート1名。あとはクラシックギター、リゾネーター・ギター(木製ボディでボトルネック奏法)、パーカッション、のごぎり演奏、詩吟と詩舞であった。

ゆめじが興味を持ったのは詩吟と詩舞であった。尺八伴奏で「棄児行」(雲井龍雄作)をやった。詩の最後に「残月一声 杜鵑啼く」とあった。初めて聞く漢詩であったがすぐ神長瞭月の「残月一声」を思い出した。

たぶんこの「棄児行」にインスパイアーされて神長瞭月は「残月一声」を作詞作曲したのであろう。「嬰児を残し妻に先立たれた病人(やみびと)は飢えに泣く幼子を抱えて粗末な自宅を出ていくがどこに行くのであろうか」という場面から始まる長い歌物語である。
「残月一声」
1.
風さえ寒き 冬の夜に
荒れし柴の戸 押し開き
いずこを指すや 病人(やみびと)の
腕に嬰児(みどりご)抱きつつ
3.
一足踏みては 亡き妻の
世に永らえて ありもせば
まだ乳(ち)のめる 幼子を
飢えに泣かせは すまじきに


バイオリンを弾きながらの「残月一声」もずいぶん流行したようである。有名な曲でレコードで知っているが今はちょっと悲しすぎて誰も演奏していないがしんみり歌うのもいいかもしれない。

「棄児行」も今は「赤ちゃんポスト」があるから大丈夫なのであろうか。あるいは最初から子供を作らない、要らないのであろうか。また一方で不妊治療に公費支援など「棄児行」についてはいろいろ考えさせられる。

「棄児行」は昭和の初期までは人気のあった詩吟であろうが今はあまり演じられないようだ。江戸末期から明治時代の人情を感じた詩吟と詩舞であった。

「棄児行」   雲井龍雄
(和歌)
小夜更けて  しばし赤子の  泣きやむは
母が添い寝の  夢や見るらん

(詩吟)
この身飢ゆれば この児育たず  この児棄てざればこの身飢ゆ
棄つるが是か 捨てざるが非か  人間の恩愛 この心に迷う
哀愛禁ぜず 無情の涙      また児の面を弄して 苦思多し
児や命無くんば 黄泉に伴わん  児や命あらば この心を知れよ
焦心しきりに属す 良家の救いを 去らんと欲して忍びず 別離の悲しみ
橋畔忽ち驚く 行人の語らい   残月一声 杜鵑啼く

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