芸能大会は午前の部が利用者の方々の参加、午後からはプロの芸人出演とプログラム上はなっていた。会場はたくさんの参加者で一杯になっていた。
われわれは事務所で豪華なお昼のお弁当をいただいてからの出演であった。
午後からの2時間は高齢者に人気の「懐メロ歌謡ショー」であり、ゆめじは懐メロ歌手の前座としてバイオリン弾き語りで大正・昭和の歌を2回に分けて歌った。
バイオリンで弾き語りをする書生節のプロの歌手なんかはいないであろう。カラオケがすごく上手なおじさんやおばさんの方がどのバイオリン演歌師より歌が上手なようである。
他の出演者は日舞(佐渡おけさ、かっぽれ、おてもやん)と若者によるジャグリング・バルーンアートであった。そして最後は、炭坑節と東京音頭を懐メロ歌手が歌って参加者全員で輪になって踊って盛り上がった。
(ラストの東京音頭)
もちろん、午前の部でもすばらしい民謡や三味線演奏があり盛り上がっていた。
ゆめじが船頭小唄を歌ってその後、その替え歌を歌ったところ、男性が公演終了後にわざわざ楽屋へ訪ねてきてくれて戦時中にはやったという船頭小唄の替え歌を紙に書いて渡してくれた。
その替え歌は面白いというより、戦地にいるお父さんを思う子供の気持ちを歌ったものだった。教えてくれた男性も父のことを思いながら当時歌っていたのであろう。すばらしいので下記に記載する(2番、3番)。
利根の流れの お月さん 戦闘帽子で 父さんの
進む笑顔を 一目でも うつしてください お月さん
こんな晩には 父さんが いつも歌った 舟歌を
母さん二人で 元気よく こいで流して 歌おうよ
唱歌「里の秋」で戦争に行ったお父さんのことを思いならがお母さんと一緒に栗の実を煮たり、食べたりしている小学生の気持ちと同じだなあと感じてしまった。
この替え歌に関して「ふろあ」さんから教えていただき、歌詞は「母子(おやこ)船頭唄」であることが分かった。「船頭小唄」のメロディで歌っても違和感がないのでよく知っている船頭小唄の節で替え歌として歌っていたと思われる。
「母 子(おやこ)船頭唄 (昭和13年)」 作詩:佐藤惣之助
3 もしもお月さん 鏡なら 戦闘帽子で 父さんが
進む笑顔を ひと目でも 見せて下さい お月さん
4 こんな晩には 父さんが いつも唄った 船唄を
母さん二人で 元気よく 漕いで流して 唄おうよ
お父さんを歌った歌として、懐メロ歌手は昭和31年(1956)発売の「波止場だよ お父つぁん(美空ひばり)」を歌っていたがこれは隠れたヒット曲である。
1番に「めくら」という差別用語があるため、今はほとんど歌われずにカラオケでも2番と3番だけの歌詞で1番は出てこない。1番の歌詞は下記であるが「めくらでも」を「見えずとも」と言い換えていたようである。
「年はとっても めくら(盲)でも むかし鳴らしたマドロスさんにゃ」
「海は海は 海は恋しい ねぇ お父つぁん」
年老いたお父さんのことを歌った曲で中年を過ぎてあちこち障害が多くなると泣けてくるような曲である。歌わないのがもったいないいい曲だ。
懐メロ:ふたり酒、おひまなら来てね、波止場だよお父つぁん 、裏町酒場、河内酒、好きになった人、炭坑節、東京音頭等
書生節(バイオリン演歌):金色夜叉、コロッケの唄、東京節(パイノパイノパイ)、籠の鳥、東京ラプソディ、船頭小唄、のんき節、ラバウル小唄、酋長の娘、まっくろけ節等
昭和ロマンを楽しむ会 帝大生ゆめじ 書生節 バイオリン演歌 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 敬老の日 演芸会 昭和歌謡 懐メロ
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