2013年8月13日火曜日

上野公園花見にバイオリン演歌師登場! 2005

2005年4月2日(土)11:00に上野駅公園口で待ち合わせをして、上野公園へと出かけたが大通り以外、通常歩道になっていることろはすべてシートが張られて宴会中である。しかたがなく「上野大仏」がある小高い丘へ登る階段の最上階に陣取った。見下ろすと道路は通行人でごった返し、その両側で花見をしている状況がよくみえる。この丘には関東大震災で大仏の面部が落下し、今はその大仏の面部がレリーフとして安置されている。

まず新聞紙を敷いて赤い布をかけて、西友で買ってきたまき寿司、稲荷ずし、乾き物、焼酎缶、ビール缶を並べると花見らしくなった。書生姿(着物+袴)で腹ごしらえをしていると、書生姿と横に置いてあるバイオリンがめずらしいのかおばさんが寄ってきてバイオリンやるの、何かやってと催促する。
籠の鳥や船頭小唄等をやっているとまたぽつぽつ人が増えて拍手をしてくれたりする。大江しげるのバイオリン演歌を見たというご夫婦もあらわれて昔のことを説明してくれた。そのうちに、”今年は静かだわね、こんな階段の上じゃなく、下の道路で演奏して盛上げてきなさいよ”としきりに勧めてくれる”おせっかいおばさん”も登場。しかし、道路は腕章をした警察官がパトロールしておりそんな状況ではない。

食事をしてから、演奏する場所を探すこととなった。途中でアンプ付きで尺八演奏している男性がいた。野口英世像のある噴水の方は人通りは多いが宴会はしていないのでそこで宴会&公開練習をすることに決めた。(写真は演歌師 銀月)。

交互に大正時代の曲を演奏したが、観客からは次々リクエストがあり、つくづく演奏できない曲が多いことを痛感した。お客さんは年配者だが戦争に行ったことがない世代(80歳以下)である。だが大正時代や昭和の始めの曲をよく知っている。多分子供の頃、親や大人たちが歌っていたのであろう。
中国や欧米の人にも書生姿が珍しいのか、一緒に写真に入るように頼まれ記念写真を撮られた。
花見で遊びに来ているためか皆さん心温かく拍手して聞いてくださった。
野ばら社の日本のうたをもっと暗譜して演奏できるようにしなければと誓い合った演歌師兄弟(duo)であった。

演奏したバイオリン演歌:
美しき天然、金色夜叉、籠の鳥、船頭小唄、東京節、さすらいの唄、流浪の旅、復興節、酋長の娘、のんき節、湯島の白梅、二人は若い等

リクエストがあった石田一松も歌っていた”男なら”、一高寮歌(ああ玉杯に花うけて、春爛漫の花の色)、七里ヶ浜の哀歌、三高寮歌、まっくろけ節等はこんどまでに練習しますということで勘弁してもらった。

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ 森田銀月 昭和歌謡

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