2013年8月13日火曜日

川越 小江戸 蔵の街 菓子屋横丁の唐辛子屋 文七 2007

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この休みに前から行きたいと思っていた小江戸、川越へやっと訪問できた。電車利用の場合、池袋から東武東上線急行で32分、西武新宿から西武新宿線急行57分、よく分からないので蔵の街に近いと考えられる西武新宿線本川越駅を利用してみた。

せっかくの古き良き時代の町並みを探訪するので白絣の着物を着ていくことにしたが、下は、活動しやすいように袴ではなくモンペにズックで出発した。もちろん大正時代の建物の前で書生節をやれるようにバイオリンを持参した。残念ながら川越の町には着物、浴衣等を着ているひとは誰もいなかった。

本川越の駅からひたすら中央通を歩いてまず大正浪漫夢通りへ向かう。道路は石畳にしているが古き良き大正時代を思わせる情緒あふれる建物は少ない。角にある石造りの川越商工会議所の建物がいい。こういう目立つ建物の辻には夜になると演歌師たちが集まってバイオリンの弾き語りをして歌本を売っていたのだろう。

そこから蔵の町並みを見ながらどんどん歩いていく。なんと今はこの写真にあるような草ぼうぼうの小さな川になってしまった新河岸川による江戸との交易のおかげでもうけてこのような蔵が建ったのである。100年経過しただけで川はこんなにも変わるものなのか、恐ろしい限りである。

12時になって時の鐘を撞木(しゅもく)で打つのを遠くから見る。人影はなく、人が直接上に上がって打つのではなく、紐で下から操作して自動で打っているようであった。

蔵造りの町並みを横道に入ると「菓子屋横丁」の入口である。「菓子屋横丁」の道は、かぎの手に曲がった小さな通りの石畳。路面には、ガラスが散りばめられているが、これは、駄菓子の飴細工などをイメージしたものだそうだ。ハッカ飴、駄菓子、だんごなど懐かしいかおりが漂っている。昔よく食べたふ菓子の超長いのが売られていた。

菓子屋横丁に文七という七色唐辛子屋さんが土日祝日に出張販売している。
なぜ、菓子屋に唐辛子屋なのかよく分からないが意外に売れている。七味唐辛子の口上によると武州川越の名産は黒ごまだそうである。お客さんの目の前で面白おかしく成分の説明をしながら、七つの色をお好みの辛さや香りに合わせていく。みていると結構「激カラ」に挑戦するお客さんがいる。

七色唐辛子の成分はすべて漢方薬、体にいいものばかり、塩分、糖分がない調味料!
1. まず最初に入れますのは武州川越の名産、黒胡麻
2. 紀州は有田のミカンの皮、これを一名、陳皮と申します
3. 江戸は内藤新宿八つ房の焼き唐辛子
4. 東海道静岡は朝倉名産、粉山椒
5. 四国高松の名産は唐辛子の粉、大辛中辛を決めて参ります。
6. 大和の国はケシの実が入ります
7. 最後に野州日光、麻の実が入りまして七色唐辛子
大辛に中辛、家伝の手法。お好みに応じて調合いたします、はいどうぞ

今日は曇り空で暑くもないのかお客さんも多く口上を楽しみながら買っていく。もちろん作りだめなんかしてなくて、注文があってから調合していく。
口上の中で、「子供をなげいてはだめ、自分の来た道、年寄りを笑ってはだめ、自分の行く道、来た道は後戻りできない、今日も通る人の道、---」というのがあってなかなか勉強になりました。

七色唐辛子「文七」ホームページ:
http://bunsichi.web.fc2.com/index.html

はっきり言って大阪の空堀商店街を歩く方が観光化しておらずいろいろその時代やバイオリン演歌の勉強になる。大阪には焼けてない所に大正、昭和初期の店舗、住宅はかなり残っていた。
また、東海道56番目「枚方宿」も蔵や昔の商店が残っていていい所である。「守口宿」も探検したことがある。(東海道は、一般的に江戸と京を結ぶ品川宿から大津宿の53次と呼ばれているが、伏見、淀、枚方、守口の宿場4ヶ所を含めて57次で江戸と大坂を結ぶ街道であった)

「うだつが上がらない」の語源となった「うだつ」の街並みが残る徳島の脇町(美馬市)もいいです(藍商の町として繁栄)。

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