2013年8月13日火曜日

小江戸 川越 菓子屋横丁でバイオリン演歌 2007


蔵の町並みから菓子屋横丁へ行く道から見た時の鐘。昔はどこからでも見えるほど高い建物だったのであろう。

小江戸、川越、蔵の街、菓子屋横丁でも数年前までは一番にぎやかな角の小さな空き地で大道芸をやったりしていたそうである。現在は、梅干や漬物の物品販売が行われていた。

両側に商店が出ていない民家の壁の部分(一部自転車置き場?)でバイオリン演奏をしてもよいとのことだったので路地でもんぺを袴に着替えて様子を見ながら演奏を始めた。

アンプもないのでとりあえず大正、戦前の昭和の歌をうるさくない程度にいろいろ演奏してリクエストがあれば歌うことにした。

お客さんは子供連れか若いカップルが多いので冷ややかな目で通り過ぎていく。まず、川越・蔵の街といっても着物を着たお客さんは誰一人いない状態である。浅草の方が着物を良く見かける。観光化された古い町並みをみるだけの町になっているのがちょっと残念である。

ドイツからのお客を連れてきたという年配の方にいきなり金色夜叉の歌を聞かせてやってくれと頼まれた。「Konjikiyasha!, konjikiyasha!」と説明していたが分かったのだろうか、とにかく雰囲気で喜んではもらえたようだ。

写真は良く取られたが通行人の中から「何か演奏してください」とリクエストされたのはそれ以外にご婦人1名のみであり、船頭小唄を唄った。

予想に反して観光客ではなく、いろいろ見たり聞いたりしてくれたのは菓子屋横丁の商店の方々だった。「懐かしい、知っている曲だ」とわざわざお店から出て見に来てくれた。でも中には「昭和枯れすすき」をやってくれという方もいて困ってしまった。

戦後の歌で開放弦のD線からすぐ弾けるのはと考えたが、圭子の夢は夜開く(Dm)や星影のワルツ(D)などの暗い曲ばかりしか思い出せなかった。後で考えると明るい曲では東京のバスガール「若い希望も恋もある」(Gm)があった。

「いいね、君恋しはぼくのおはこだった」というボランティアの案内人の方も声をかけてくれた。最後には、お菓子屋さんのご主人からのご祝儀までいただいてしまった。

書生節というのは古い雰囲気には合っているが観光客にとっては知らない曲を演奏しているだけなのかもしれない。書生節、バイオリン演歌の生き残りは難しいとつくづく感じた。

演奏した最新の曲:湯島の白梅(昭和17年, 1942)

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